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会社概要
Company

経営理念

「広く社会に」ではなく「狭くあなたと」

「広く社会に」貢献することが
「私(inadog)」の存在意義ではなく、
「あなた(お客様ひとりひとり)」の困っていることを解決することが「私(inadog)」の幸せです。
「広く社会に」ではなく「狭くあなたと」

代表:稲田敦のこれまで・これから

1973~ 昭和48年

稲田敦 誕生

大阪生まれの大阪育ち、1973年、第一次オイルショック、ブルース・リーがこの世を去った年に私は大阪府貝塚市に生れ落ちました。
男3人兄弟の末っ子で、昔はよく兄貴にプロレス技をかけられていじめられました(笑)
貝塚市は岸和田市の隣で、だんじりが盛んです。だんじり祭りのある10月の体育の日の前後2日間は学校が休みになる。
そんな街で生まれ育ちました。

おもちゃの車に乗っている幼少期の稲田
兄弟と並んで撮影された幼少期の稲田
1986~ 昭和61年

中学生の頃

中学校一年生の時に父の仕事の都合で堺市に引っ越します。せっかくできた親友、仲間たちと離れるのが本当にいやだったのを覚えています。
転校先で友達ができるように、そして気に入られるように
「本当の自分」を少しおさえて「いい奴」を演じるようになったのもこの時からのような気がします。
というものの、すばらしい仲間たちに恵まれ、中3の時の仲間とは数年に一度会うような仲です。

1989~ 平成1年

高校生の頃

高校は富田林市の山の中の進学校、私立初芝富田林高校に進学しました。
「キミたちはエリートだ!」先生たちにそんな風にいわれる高校生活。
「なんだかえらいところに来てしまったかも…」
そんな風に思いながら、1年後には一番下の「私立文系コース」へ
屈折した思いで過ごした3年間、おんなじ思いを抱いた独特な心底おもろい仲間とは今でも毎年会う親友です。

高校時代の稲田
1992 平成4年

大学受験

大学受験に失敗し、1年浪人。消費税の関係で缶コーヒーが110円になった92年。
1日10時間以上、人生で一番勉強しました。
結果、本番での弱さを発揮し(笑) 滑り止めの滑り止めの京都の龍谷大学に合格。といいつつも楽しい学生生活を送ります。

1993〜 平成5年

貧乏旅行

パチンコ屋のバイトで稼いで、バックパックを担いでの貧乏旅行。2回生の時に中国へ、4回生の時には単身インドへ「自分探しの旅」に行きました。インドでは、7時間電車が遅れてもあたりまえ、ガンジス川で沐浴をして、激しい下痢に見舞われるなど、なかなかに衝撃的な体験をしました。
でもいまだに、最高の旅だったと思っています。
聖地バラナシのゲストハウス「ガンガ富士」には旅人が書き込むノートがありました。
そこの一番ラストのページに書かれていた言葉

「すべてを受け入れ、すべてを受け流せる人間に」

この言葉は今でも私に影響を与え続けています。
「自分探しの旅」だったんですが、探すのをやめたときに、「自分」が見つかったような気がしました。
大きなものを得た旅でした。

海外旅行中の稲田
現地のこどもと撮影した海外旅行中の稲田
1997~ 平成9年

新卒時代

就職活動はうまくいって、第一志望の大手コンビニチェーンに。関西で希望を出していたのですが、勤務地は千葉。ここで上京をはたします。
真っ黒いうどんのスープに驚きながら、あくせく働いたんですが、月に200時間の残業などの激務で身体をこわし2年で退職します。

しかしながらこの時に学んだ「商売の原点」は今でも私の中で輝きを放ち続けています。
本当に貴重な経験をさせていただきました。

1999 平成11年

転職と結婚

そこから、家電卸の会社に転職し、ある薬局を担当。理美容機器を店頭でデモ販したりの営業活動を経験。
この時に奥さんと出会い、めでたく結婚します。

家電卸の会の社時の稲田
2004~ 平成16年

転職2

ここでは5年半過ごしたのですが給料の問題と自分の可能性を高めるため、印刷会社の新規営業部門に転職します。
ここでは、本当にいろいろな経験をさせていただきました。
身体を張って自分たちを全力で守ってくれる支社のボス、本気で怒ってくれる愛のある上司、かっこよくて魅力的な先輩たち、すばらしく頼れる後輩たち
そんな最高のメンバーに囲まれ8年間を過ごさせていただきました。

2012~ 平成24年

転職3

担当していたブライダル関連の会社の専務に声をかけていただき、「営業としてこんな幸せなことはない」として会社にしっかりと相談して、転職をしました。

2015 平成27年

Youtube
との出会い

そこで働いていた2015年にYouTubeに出会います。
「YouTubeでお金をいただくことができる。しかもパソコン1台で」
半信半疑ながらも副業として初め、1か月後には数千円の売上が立ちました。
「すごい時代になったもんや」
そこから私は副業ながらも寝る間を惜しんで投稿に励みました。

サラリーマンでYoutubeを副業でやっていた時の一枚。息子との2ショット!

サラリーマンでYouTubeを副業でやっていた時の一枚。息子との2ショット!

2016 平成28年

トランプの
動画

一年半がたった、2016年の11月9日にある事件が起こります!!それは、アメリカ大統領選挙です! ヒラリークリントンとドナルド・トランプの一騎打ち!下馬評ではヒラリーが圧倒的有利でした。

私はこの時、ある策を打ちます!
「ヒラリークリントンが勝つ動画」そして、「トランプが勝利する動画」この2本を作り、結果がでるまで、待機していました。
日本時間の17時00分にトランプ勝利の結果がでます!私はその瞬間に「トランプ勝利」の動画をアップしました!

ここから私の人生が変わります!!

動画はみるみる再生され、なんと、1日で20万再生!8万円の売上を叩き出し、11月には70万円、12月には50万円、1月にも50万円、当時の月給を遥かに上回る売上を3か月間続けて達成した私は、ある決意をします!

嫁にこう言いました!
「独立させてくれ!」

嫁はこう言いました。
「どうせ、やめてって言ってもやるんでしょ」
「やんなさいよ!」
「でも1年で結果が出なかったらまたサラリーマンに戻ってください」

わたしは、奥さんに一生ついていくことをこの時決意しました(笑)

2017~ 平成29年

独立

家族の協力もあり、
2017年4月に個人事業主として独立します
さあ、独立後、相変わらず、毎日コツコツ動画をあげます。
今度は副業ではないので、一日中YouTubeだけをやって、本当に毎日投稿をしていました。

2019 平成31年

大事件

結果、2年後には年収1,800万円稼ぐようになりました。

しかしながら、2019年の5月に大事件がおこります!
YouTubeのAIの暴走で、収益無効化になってしまいました。
当時、月に150万円あった売り上げが、まったくの0円、収入が0円になってしまいます。

今は笑い話として話せますが、当時は生きた心地がしませんでした。

サラリーマンには戻りたくない!なんとしても復活しないといけない!何か策はないのか?方法はないのか?
必死に情報を探しましたが、当時、そんな情報はほとんどネット上にありませんでした。

唯一あった情報は、すべての動画を削除して、一からまたやりなおす。ということでした。
わたしに迷いはありませんでした。
こつこつアップし続けた動画600動画を削除、そして、毎日3動画アップを2ヵ月間、やり続けました。

結果、奇跡の復活を遂げます!!

復活を遂げたのは良かったのですが、ほぼ毎日、あの時の収益無効化をくらった瞬間を夢に見ます。

収益無効化を乗り越えたあとに参加した、Youtbeクリエイターキャンプin六本木

収益無効化を乗り越えたあとに参加した、Youtubeクリエイターキャンプin六本木

2022 令和4年

会社
立ち上げ

なんとか、YouTubeの広告収益以外の柱を立てなくてはならない!
そう思い続けて試行錯誤の結果、2022年に8年間のYouTube運営の経験を活かしたYouTubeサポート支援の会社、株式会社inadogを立ち上げました!

それぞれの年代をクリックで詳細が確認できます

1973~ 昭和48年

稲田敦 誕生

大阪生まれの大阪育ち、1973年、第一次オイルショック、ブルース・リーがこの世を去った年に私は大阪府貝塚市に生れ落ちました。
男3人兄弟の末っ子で、昔はよく兄貴にプロレス技をかけられていじめられました(笑)
貝塚市は岸和田市の隣で、だんじりが盛んです。だんじり祭りのある10月の体育の日の前後2日間は学校が休みになる。
そんな街で生まれ育ちました。

おもちゃの車に乗っている幼少期の稲田
兄弟と並んで撮影された幼少期の稲田
1986~ 昭和61年

中学生の頃

中学校一年生の時に父の仕事の都合で堺市に引っ越します。せっかくできた親友、仲間たちと離れるのが本当にいやだったのを覚えています。
転校先で友達ができるように、そして気に入られるように
「本当の自分」を少しおさえて「いい奴」を演じるようになったのもこの時からのような気がします。
というものの、すばらしい仲間たちに恵まれ、中3の時の仲間とは数年に一度会うような仲です。

1989~ 平成1年

高校生の頃

高校は富田林市の山の中の進学校、私立初芝富田林高校に進学しました。
「キミたちはエリートだ!」先生たちにそんな風にいわれる高校生活。
「なんだかえらいところに来てしまったかも…」
そんな風に思いながら、1年後には一番下の「私立文系コース」へ
屈折した思いで過ごした3年間、おんなじ思いを抱いた独特な心底おもろい仲間とは今でも毎年会う親友です。

家電卸の会社時の稲田
1992 平成4年

大学受験

大学受験に失敗し、1年浪人。消費税の関係で缶コーヒーが110円になった92年。
1日10時間以上、人生で一番勉強しました。
結果、本番での弱さを発揮し(笑) 滑り止めの滑り止めの京都の龍谷大学に合格。といいつつも楽しい学生生活を送ります。

1993〜 平成5年

貧乏旅行

パチンコ屋のバイトで稼いで、バックパックを担いでの貧乏旅行。2回生の時に中国へ、4回生の時には単身インドへ「自分探しの旅」に行きました。インドでは、7時間電車が遅れてもあたりまえ、ガンジス川で沐浴をして、激しい下痢に見舞われるなど、なかなかに衝撃的な体験をしました。でもいまだに、最高の旅だったと思っています。
聖地バラナシのゲストハウス「ガンガ富士」には旅人が書き込むノートがありました。
そこの一番ラストのページに書かれていた言葉

「すべてを受け入れ、すべてを受け流せる人間に」

この言葉は今でも私に影響を与え続けています。
「自分探しの旅」だったんですが、探すのをやめたときに、「自分」が見つかったような気がしました。
大きなものを得た旅でした。

現地のこどもと撮影した海外旅行中の稲田
海外旅行中の稲田
1997~ 平成9年

新卒時代

就職活動はうまくいって、第一志望の大手コンビニチェーンに。関西で希望を出していたのですが、勤務地は千葉。ここで上京をはたします。
真っ黒いうどんのスープに驚きながら、あくせく働いたんですが、月に200時間の残業などの激務で身体をこわし2年で退職します。

しかしながらこの時に学んだ「商売の原点」は今でも私の中で輝きを放ち続けています。
本当に貴重な経験をさせていただきました。

1999~ 平成11年

転職と結婚

そこから、家電卸の会社に転職し、ある薬局を担当。理美容機器を店頭でデモ販したりの営業活動を経験。
この時に奥さんと出会い、めでたく結婚します。

家電卸の会社の時の稲田
2004~ 平成16年

転職2

ここでは5年半過ごしたのですが給料の問題と自分の可能性を高めるため、印刷会社の新規営業部門に転職します。
ここでは、本当にいろいろな経験をさせていただきました。
身体を張って自分たちを全力で守ってくれる支社のボス、本気で怒ってくれる愛のある上司、かっこよくて魅力的な先輩たち、すばらしく頼れる後輩たち
そんな最高のメンバーに囲まれ8年間を過ごさせていただきました。

2012~ 平成24年

転職3

担当していたブライダル関連の会社の専務に声をかけていただき、「営業としてこんな幸せなことはない」として会社にしっかりと相談して、転職をしました。

2015 平成27年

Youtubeとの出会い

そこで働いていた2015年にYoutubeに出会います。
「YouTubeでお金をいただくことができる。しかもパソコン1台で」
半信半疑ながらも副業として初め、1か月後には数千円の売上が立ちました。
「すごい時代になったもんや」
そこから私は副業ながらも寝る間を惜しんで投稿に励みました。

サラリーマンでYouTubeを副業でやっていた時の一枚。息子との2ショット!

2016 平成28年

トランプの動画

一年半がたった、2016年の11月9日にある事件が起こります!!それは、アメリカ大統領選挙です! ヒラリークリントンとドナルド・トランプの一騎打ち!下馬評ではヒラリーが圧倒的有利でした。

私はこの時、ある策を打ちます!
「ヒラリークリントンが勝つ動画」そして、「トランプが勝利する動画」この2本を作り、結果がでるまで、待機していました。
日本時間の17時00分にトランプ勝利の結果がでます!私はその瞬間に「トランプ勝利」の動画をアップしました!

ここから私の人生が変わります!!

動画はみるみる再生され、なんと、1日で20万再生!8万円の売上を叩き出し、11月には70万円、12月には50万円、1月にも50万円、当時の月給を遥かに上回る売上を3か月間続けて達成した私は、ある決意をします!

嫁にこう言いました!
「独立させてくれ!」

嫁はこう言いました。
「どうせ、やめてって言ってもやるんでしょ」
「やんなさいよ!」
「でも1年で結果が出なかったらまたサラリーマンに戻ってください」

わたしは、奥さんに一生ついていくことをこの時決意しました(笑)

2017~ 平成29年

独立

家族の協力もあり、
2017年4月に個人事業主として独立します
さあ、独立後、相変わらず、毎日コツコツ動画をあげます。
今度は副業ではないので、一日中YouTubeだけをやって、本当に毎日投稿をしていました。

2019 平成31年

大事件

結果、2年後には年収1,800万円稼ぐようになりました。

しかしながら、2019年の5月に大事件がおこります!
YouTubeのAIの暴走で、収益無効化になってしまいました。
当時、月に150万円あった売り上げが、まったくの0円、収入が0円になってしまいます。

今は笑い話として話せますが、当時は生きた心地がしませんでした。

サラリーマンには戻りたくない!なんとしても復活しないといけない!何か策はないのか?方法はないのか?
必死に情報を探しましたが、当時、そんな情報はほとんどネット上にありませんでした。

唯一あった情報は、すべての動画を削除して、一からまたやりなおす。ということでした。
わたしに迷いはありませんでした。
こつこつアップし続けた動画600動画を削除、そして、毎日3動画アップを2ヵ月間、やり続けました。

結果、奇跡の復活を遂げます!!

復活を遂げたのは良かったのですが、ほぼ毎日、あの時の収益無効化をくらった瞬間を夢に見ます。

収益無効化を乗り越えたあとに参加した、Youtubeクリエイターキャンプin六本木

収益無効化を乗り越えたあとに参加した、Youtubeクリエイターキャンプin六本木

2022 令和4年

会社立ち上げ

なんとか、YouTubeの広告収益以外の柱を立てなくてはならない!
そう思い続けて試行錯誤の結果、2022年に8年間のYouTube運営の経験を活かしたYouTubeサポート支援の会社、株式会社inadogを立ち上げました!

YouTubeという仕事へのコンプレックスから解放してくれた息子の一言

私には高校3年生になる息子がいます。
「陸」っていいます。
去年の夏の三者面談で、初めて自分の職業を先生に話すことができました。
私が独立した時、「陸」は小学5年生でした。その時からずっと三者面談は私が行っています。ちなみにぽっちゃりさんで、小学校三年生時、学芸会の西遊記では「猪八戒」を熱演していました。ぽっちゃりして、おっとりしている、そんな愛する息子です。

ずっと、担任の先生には自分の仕事が「YouTuber」というのを言えませんでした。6年生の時、PTAで広報委員になった時、ママさん方から聞かれた時も、「IT関係です」と言っていました。

なぜでしょうか?

『「YouTuber」って楽して儲けてるんじゃないか?』とか、『若者がやっている仕事と言えないような仕事。』
って思われているんじゃないかと思って、息子が色眼鏡でみられるんじゃないかと思って怖くて言えませんでした。
実際に、収益無効化になった時は、「いい年こいて、YouTuberかよ、バカじゃないの?」「親父がYouTuberってワロス。俺だったら耐えられない」
こんな心無いコメントがいっぱい来て、本当に精神的に追い詰められました。

でも、
「初期から見てます!YouTubeの暴走AIには腹が立ちます!がんばってください」
「あなたの歴史YouTubeのおかげで、歴史嫌いの娘が歴史を好きになって志望校に受かりました。心無いコメントにまけないでください」
というようなコメントもたくさんいただき、おかげで、地獄の淵から帰ってくることができました。
でもやっぱりずっと、言えませんでした。

しかしながら高校の担任の先生は、そういう人を色眼鏡で見るような人じゃないような気がしました。
はじめて「YouTuberを8年、去年からその経験を活かしてYouTubeコンサルをやっています」と言えました。

先生は、 「すごいじゃないですか!何十万人も登録者がいるYouTuberに初めて会いました。うれしいです!」
と素直に喜んでくれました。

「すごいお父さんだね稲田君」と先生に言われ。
「俺のほこりです。本当に家族のためにずっと頑張ってくれています。」
と小さな声ですが、言ってくれました。苦しんでいる姿を見てくれているんだなと思い涙がでました。

自分の仕事に胸を張れるようになりました。

なぜYouTubeサポート支援をやるようになったのか?

法人を立ち上げる前、ずっと私は自宅でYouTubeの動画をひたすら作り続けていました。
5年間ほぼ家族にしか会わないような生活をしていました。

独立した年の正月、息子は受験生でした。合格祈願もかねて「西新井大師」でおみくじを引きました。
息子は大吉。私も大吉でした。
仕事運を見ました、「どんどん人に会いなさい、そうすればあなたの仕事運はあがっていくでしょう」と書かれてありました。
見事息子は志望校に合格し、「今度は俺の番だ!」ということで、2022年6月に法人を立ち上げました。

おみくじの通り私は「どんどん人に会い」ました。そうすると、どんどん良い出会いにめぐまれ、YouTubeの広告収益は下がっていましたが、コンサルの仕事の方は、本当に良い話をいただけました。

そして、コンサルの案件を実際いただき、お客様に感謝されることが何よりもうれしいと本気で感じました。 私と飲みに行ったことがある人は、あの稲田さんがずっと部屋にこもって作業をしていたなんて・・・と思ったことでしょう。

自分の得意なことを使って、お客様に幸せになってもらう。それが何よりもの俺にとっての幸せだ。これでお金をいただけるなんて、本当にこの仕事にたどりついてよかった。と思っています。
YouTubeで1,800万円稼いでいた時には得ることができなかった境地です。

「私は」
「YouTubeに出会い」
「独立して」
「幸せになり」
「収入が0円になり」
「YouTubeを憎み」
「YouTubeを恐れ」
「元気になり」
「泣き」
「笑い」
「そして」
「皆さんに出会い」
「幸せになりました」
「一生YouTubeを使って『人』を幸せにしたい」
「人を幸せにした分だけ、自分も幸せになれる」
「人を幸せにしたい!YouTubeで」

私は、今、本気でこう思っています。

YouTubeという仕事へのコンプレックスから解放してくれた息子の一言

私には高校3年生になる息子がいます。
「陸」っていいます。
去年の夏の三者面談で、初めて自分の職業を先生に話すことができました。
私が独立した時、「陸」は小学5年生でした。その時からずっと三者面談は私が行っています。ちなみにぽっちゃりさんで、小学校三年生時、学芸会の西遊記では「猪八戒」を熱演していました。ぽっちゃりして、おっとりしている、そんな愛する息子です。

ずっと、担任の先生には自分の仕事が「YouTuber」というのを言えませんでした。6年生の時、PTAで広報委員になった時、ママさん方から聞かれた時も、「IT関係です」と言っていました。

なぜでしょうか?

『「YouTuber」って楽して儲けてるんじゃないか?』とか、『若者がやっている仕事と言えないような仕事。』
って思われているんじゃないかと思って、息子が色眼鏡でみられるんじゃないかと思って怖くて言えませんでした。
実際に、収益無効化になった時は、「いい年こいて、YouTuberかよ、バカじゃないの?」「親父がYouTuberってワロス。俺だったら耐えられない」
こんな心無いコメントがいっぱい来て、本当に精神的に追い詰められました。

でも、
「初期から見てます!YouTubeの暴走AIには腹が立ちます!がんばってください」
「あなたの歴史YouTubeのおかげで、歴史嫌いの娘が歴史を好きになって志望校に受かりました。心無いコメントにまけないでください」
というようなコメントもたくさんいただき、おかげで、地獄の淵から帰ってくることができました。
でもやっぱりずっと、言えませんでした。

しかしながら高校の担任の先生は、そういう人を色眼鏡で見るような人じゃないような気がしました。
はじめて「YouTuberを8年、去年からその経験を活かしてYouTubeコンサルをやっています」と言えました。

先生は、 「すごいじゃないですか!何十万人も登録者がいるYouTuberに初めて会いました。うれしいです!」
と素直に喜んでくれました。

「すごいお父さんだね稲田君」と先生に言われ。
「俺のほこりです。本当に家族のためにずっと頑張ってくれています。」
と小さな声ですが、言ってくれました。苦しんでいる姿を見てくれているんだなと思い涙がでました。

自分の仕事に胸を張れるようになりました。

なぜYouTubeサポート支援をやるようになったのか?

法人を立ち上げる前、ずっと私は自宅でYouTubeの動画をひたすら作り続けていました。
5年間ほぼ家族にしか会わないような生活をしていました。

独立した年の正月、息子は受験生でした。合格祈願もかねて「西新井大師」でおみくじを引きました。
息子は大吉。私も大吉でした。
仕事運を見ました、「どんどん人に会いなさい、そうすればあなたの仕事運はあがっていくでしょう」と書かれてありました。
見事息子は志望校に合格し、「今度は俺の番だ!」ということで、2022年6月に法人を立ち上げました。

おみくじの通り私は「どんどん人に会い」ました。そうすると、どんどん良い出会いにめぐまれ、YouTubeの広告収益は下がっていましたが、コンサルの仕事の方は、本当に良い話をいただけました。

そして、コンサルの案件を実際いただき、お客様に感謝されることが何よりもうれしいと本気で感じました。 私と飲みに行ったことがある人は、あの稲田さんがずっと部屋にこもって作業をしていたなんて・・・と思ったことでしょう。

自分の得意なことを使って、お客様に幸せになってもらう。それが何よりもの俺にとっての幸せだ。これでお金をいただけるなんて、本当にこの仕事にたどりついてよかった。と思っています。
YouTubeで1,800万円稼いでいた時には得ることができなかった境地です。

「私は」
「YouTubeに出会い」
「独立して」
「幸せになり」
「収入が0円になり」
「YouTubeを憎み」
「YouTubeを恐れ」
「元気になり」
「泣き」
「笑い」
「そして」
「皆さんに出会い」
「幸せになりました」
「一生YouTubeを使って『人』を幸せにしたい」
「人を幸せにした分だけ、自分も幸せになれる」
「人を幸せにしたい!YouTubeで」

私は、今、本気でこう思っています。

企業概要

2025年3月現在

会社名
株式会社inadog
代表者
稲田 敦
所在地
〒121-0836 東京都足立区入谷
1-26-10-701
設立年月日
2023年6月30日
資本金
30万円
事業内容
動画の制作および配信、
YouTubeマーケティングサービス
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